太陽の子 三浦春馬 役柄は?撮影時期はいつだった?

太陽の子 三浦春馬 役柄は?撮影時期はいつだった? ドラマ
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太陽の子 三浦春馬 役柄は?撮影時期はいつだった?をご紹介します。

1939年から6年にわたり、日本・ドイツ・イタリアを中心とする枢軸軍と、イギリス・ソビエト連邦・オランダ・フランス・アメリカ・中華民国・ベルギーなどの連合国との間で起こり、人類史上最大規模の戦争となった第二次世界大戦。

1945年の終戦から75周年を迎えた今年の8月15日に、NHKにて放映されたテレビドラマが「太陽の子」です。

内容は、第二次世界対戦下の日本において、原子爆弾の開発に携わった科学者の苦悩と青春を史実をもとにフィクションとして描いた群像劇です。

当時、京都大学の物理学研究所に海軍から下された密命は、核分裂のエネルギーを使った新型爆弾を作ることでした。

研究者たちは日本を救うべく核エネルギーの研究に取り組む一方で、兵器開発を進めるべきか葛藤します。

しかし新型爆弾の開発は進まず、研究者たちは次第に研究の継続に疑念を抱きます。

その矢先に、広島に原爆投下されたという情報が届き、研究者たちは広島へと赴きますが、焦土化してしまった広島の街を目の当たりにします。

ドラマにおいて、核エネルギーの研究を進める一方で、科学者として兵器開発を進めていくことに苦悩する研究者の石村修役を柳楽優弥さんが、修の弟役を三浦春馬さんが演じました。

また建物疎開で家を失い、石村修の家に居候をしていた朝倉世津役を有村架純さんが演じました。

そしてこの作品が、2020年7月18日に亡くなられた三浦春馬さんの遺作となりました。

演じる役にいつも真剣に正面から向き合っていた三浦春馬さんは、遺作となった「太陽の子」において75年前の悲惨な戦争を、どのような想いを持って演じられていたのでしょうか。

今回は、太陽の子 三浦春馬の役柄は?撮影時期はいつだったのかをご紹介します。

 

太陽の子 三浦春馬の役柄は?

主人公の研究者・石村修の弟であり、陸軍の下士官・石村裕之役を演じたのが、三浦春馬さんでした。

三浦春馬さん演じる石村裕之は、第二次世界大戦下、学徒出陣で戦地に赴きますが、肺の療養のため一時帰宅します。

石村修らの爆弾開発の実験が進まない中、研究者のメンバーは研究を続けていくことに疑問を持ち始めます。

そして再び、三浦春馬さん演じる石村裕之が戦地へ行くことになった矢先に、日本の広島に原子爆弾が落とされてしまいます。

戦場の前線での壮絶な体験を顔に出すことなく、家族に対して明るく振る舞う姿は深く胸を打ちます。

 

太陽の子の撮影時期はいつだった?

8月8日のNHK土曜スタジオパークにて、撮影時期は2019年の夏からスタートし、期間は約2ヶ月に及んだことが明らかになりました。

夏に撮影を行ったのは、戦争の悲惨さや、核を作ることを許してはいけないなどの想いをリアルに伝えるために、終戦記念日に近い真夏を選んだことが考えられます。

 

太陽の子のSNSでの反応は!?

現在世界で猛威を振るっている新型コロナウイルスと重なり合わせ、平和を願う声が聞かれます。

また三浦春馬さんの遺作となった「太陽の子」を財産として残して欲しいという声も上がっています。



 

まとめ

太陽の子 三浦春馬の役柄は?撮影時期はいつだった?をご紹介してきました。

2020年7月8にNHK広島拠点放送局にて行われた完成試写会の記者会見で、三浦春馬さんは、こう語っていました。

「戦地で神風として散っていく仲間を目の当たりにしている彼(裕之)の経験から、療養明けの彼(裕之)も、もしかしたら散る運命にあるのかもしれないということを、一瞬たりとも忘れてはなかったと思うんですね」

「裕之の明るい部分でも、すごく漆黒とした感情に移り変わるという、むごさみたいなものが表現できたらいいのかなと・・・」

散るかもしれないと分かっていても、戦地に出向かなければなかった当時の方の気持ちを考えると言葉もありません。

いつも真剣に役に向き合っていた三浦春馬さんだからこそ、この戦争を舞台にしたドラマの一役を演じる中で、今を生きる私たちにどうやったら戦争の恐ろしさや悲惨さを伝えられるだろうかと葛藤していたのではないかと。

戦争を知らない世代が多くなった今、戦争から何を学び、今後どう生きていくべきなのかを、三浦春馬さんの演技から感じ取れる作品です。

太陽の子 三浦春馬 役柄は?撮影時期はいつだったのかについてご紹介しました。

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